EBMとはEvidence Based Medicineの頭文字をとったもので日本語に訳すと「根拠に基づいた医療」ということになります。みなさんも一度ぐらい耳にしたことがあると思いますが、どうでしょう?

 医学は数学や物理学ほどはっきりと体系化していない学問です。人体は複雑でまだ発達段階の学問といういいかたも出来るでしょう。EBMとはいままで経験や勘に頼っていた医学をできるだけ科学的に考えていこうというもので、現代医学のトレンドといってよいでしょう。医学にはEBMよりもっと大事な部分、スタンダードな医療というものがあるのですがこれについてはまた別の機会に書きたいと思います。

 それではEvidence=根拠とはどんなものをいうのでしょう?ある一人の人が「おれはこの薬をのんだら喘息がなおった。」というのは根拠になるのでしょうか?これは根拠にはなりません。なぜかって、のまなくたって治ったのかもしれないじゃないですか?医学的「根拠」として価値のあるものかどうかは以下の4つのことを検証することが必要です。
1、 どんな患者さんに
2、 どんな治療をしたら
3、 どんな治療と比べて
4、 どんな効果があるか
です。
1、で大事なことはある治療をする群としない群を「無作為」に割り付けることです。無作為とは、たとえば高血圧の治療をする場合対象となる200人の患者さんに対しある薬の治療をするかどうか決めるのに、さいころをふって奇数がでたら(奇数の出る確率は1/2とします)薬をのんでもらい、偶数がでたらのまないというふうに決めるのです。太った人に薬をのんでもらい、やせた人には薬をのんでもらわないと決めると、でてきた効果が薬のためなのか、体重のためなのかわからなくなってしまい根拠としての価値がなくなってしまうのです。そんなことないと思うでしょうが一般のかたはよく「無作為でない集団」を「無作為」な集団と勘違いしています。前回でてきた「禁煙セラピー」の参加者は9割禁煙に成功すると宣伝していますが、「禁煙セラピー参加者」は禁煙希望者が無作為に参加しているわけではないのです。たとえば「禁煙セラピー」に参加するには約5万円かかります。それだけのお金を払ってもいいという切実な人たちだから9割の成功率なのかもしれませんし、広告媒体が主にインターネットなので若い人が多いのが成功率をあげているのかもしれません。(私はアレン・カーの禁煙セラピーの有効性はある程度認めますが、無作為だったら9割も成功するはずはないと思っています。)

4、で大事なのはその効果が「真に望まれる効果」なのか、「仮の効果」なのか見極めることです。たとえば糖尿病治療の目的は心筋梗塞や脳梗塞、腎症、神経障害、網膜症にならないこと、さらには寿命が延びることであって、HbA1cが下がることではないのです。糖尿病治療における「真に望まれる効果」は合併症の予防であり、寿命をのばすことであり、「仮の効果」がHbA1cの低下ということになります。実際の臨床では「真に望まれる効果」がでているのかすぐに知るすべはないので、糖尿病のコントロールはHbA1cの値を下げること(「仮の効果」)を目標とするわけです。

アメリカでおこなわれた有名な研究でCASTスタディというものがあります。これは心筋梗塞をおこした患者さんは不整脈による突然死が多いという事実があり、抗不整脈薬は不整脈を減らすという事実もあるので心筋梗塞を起こした患者さんで不整脈の多い人に対して抗不整脈薬を投与すれば突然死が減るのではないかとの仮説で、抗不整脈薬を投与した群と投与しない群を比較した研究です。予想に反し、この研究では抗不整脈薬を投与された群の方が(確かに不整脈は減ったのですが)、突然死は逆に増えてしまったのです。そこでこの研究は途中で中止になってしまいました。ここでわかったことは「仮の効果」(不整脈を減らす)がどんなにすばらしいものでも「真に望まれる効果」(不整脈を減らした結果突然死を減らす)がすばらしいとは限らないということです。もうひとつ例をあげれば、コレステロールをさげる薬で重要なのはどれだけコレステロールを下げたかよりも、どれだけ心筋梗塞を予防したかのほうがより重要なのです。

まとめると医学論文を読む場合、ある治療の「根拠としての価値」を判断するとき「無作為化」されたことが重要であり、「真に望まれる効果」を得ていることが重要なのです。

いまいろいろな医療情報が氾濫しています。その医療情報を吟味するさい上記のことをあてはめてみると面白いと思います。「無作為化」され、「真に望まれる効果」を得ている医学情報はあまりないのに気づかれると思います。たとえばみのもんたさんの番組で紹介される食品、「コレステロールを下げる」(「仮の効果」)作用があると紹介されるものは数多くあると思うのですが「心筋梗塞を予防した」(「真に望まれる効果」)とされるものはあまりないのに気づくはずです。