禁煙について~先月号の続き

今月も先月に続いて禁煙のお話です。なぜ禁煙の話かというと、慢性疾患の治療において禁煙に勝る治療なんてないからです。どんなにいい薬でも禁煙にはかないません。どんなにいい薬でも心筋梗塞の発症を4割までは減らせません。ところが禁煙するだけで心筋梗塞、くも膜下出血4割以上、肺がんは8割、そのほかのがんも4割~9割以上減らせてしまうのです。こんなにスゴイ治療は他にあるわけありません。だからここでもういちど禁煙について強調しておきたいのです。
 タバコが止めづらいのはなぜでしょう。それはニコチンに対する肉体的依存と喫煙に対する精神的依存があるからです。肉体依存も確かに強く、「アルコール以上、ヘロイン並み」といわれていますが、これにたいしてはニコチンパッチやニコチンガムでなんとかなります。期間も数日~数ヶ月とそう長い期間はかからず依存状態から抜けることができます。しかし精神的依存はそうはいきません。5年たっても10年たっても記憶は残るのです。精神的依存のほうがより厄介といえます。どんなに意思の強い人でも何年も我慢するのは難しいと思います。この精神的依存を解く指南書としてアレン・カー著「禁煙セラピー」があります。(これを改良した、磯村 毅著「リセット禁煙のすすめ」も優れた著書です。)「禁煙セラピー」を読んで10年来の禁煙にやっと成功した方の生々しい文章を以下に紹介します。

 「禁煙を始めたばかりの私としては、それこそ藁にもすがる気持ちで、この本を読み始めた。前書きで、簡単に誰でも禁煙ができる方法があるというような話から始まった。一気に読み終えた。読み終えると同時に私は禁煙が成功することを確信した。それほどの衝撃をこの本は与えてくれたのだ。詳しい内容の紹介はしない。禁煙志望者は買って読むといい。安い買い物だと思う。
 そうはいうものの、ごく簡単に自分が理解した限りで紹介する。
 まず、喫煙は楽しいことであると思っているのは大いなる誤りという。自分もそう思っていた。ほっとしたときの一服。食後の一服、ドライバーショットのあとの一服、緊張したときの一服、全ていい思い出である。最初の禁煙時私は60歳まで禁煙と決めた。一生タバコが吸えないなんて可哀想過ぎる。せめて未来に希望を、ということだった。しかしこれは間違っていた。
 タバコを吸ったときの気持ちよさは、普通の状態からプラスアルファされて気分が良くなるわけではない。ニコチンは摂取が止まると直ちに体から減少する。減少すると欲しくなる。麻薬と同じだ。一種の禁断症状でタバコが吸いたくなる。その時吸うと気持ちよい。しかしよく考えよう。その気持ちよさは、ニコチンによって気持ち悪くされたことをカバーするに過ぎないのだ。
 つまり誰かに頭を抑えられて水の中に顔を押し付けられた状態を想像してみよう。空気が吸えないから苦しい。ばたばたしているうちに抑えていた手がどいて、頭を上げて大きく空気を吸った。気持ちがいいだろう事は容易に想像がつく。これは誰かの手によって苦しい状態にされたから、何でもないことが幸せに感じられたのだ。喫煙も全く同じである。押さえる手はタバコそのものである。つまりあなたはタバコに踊らされているのだ。
 とまあ、こういう筋書きである。私は正直このロジックを一発で理解した。そうだったのだ。タバコにマインドコントロールされていただけなんだ。
 著者は、この事実に気づいて何回も失敗していた禁煙に一発で成功したと書かれていた。
 さらに著者は続ける。
 そんなタバコのためにあなたは一体いくらお金を使ってきましたか。そしてこれから一体いくら使うつもりですか。確かにざっと計算しても私の30年間は今のお金に換算するとタバコ代に数百万円使っていたことになる。
 著者は言う。禁煙できないのは決して意志が弱いせいじゃない。こういう事実を知らなかったからだと。
 私はこの本を読んだ瞬間に非喫煙者になることができた。もう一生タバコは吸わないだろうとその時思った。こんな馬鹿げたことを何でやらなければいけないんだ。服や体は臭くなる、家も臭くなる。家族には嫌がられる。健康には百害あって一利なし。良くもまあ、30年間も吸い続けたもんだ、、、、もう少し早く気づけば損害も少なくすんだのに、、、、
 私は今もそのときと全く同じ気持ちだ。初めての禁煙のときのようにタバコが吸いたいなあという気になることは殆どない。いや、全くない。」

 この方はこれできっぱりと禁煙できました。「我慢」ではなく「気づき」で禁煙できたのです。どうです?現実にこういう禁煙の仕方もある、我慢しなくてもいい禁煙もあるんだ、ということが伝わったでしょうか?
 実は私ももと喫煙者でした。いま禁煙できて本当によかったと思っています。私は、一人でも多くの方に「禁煙成功」の喜びを味わって頂きたいと切に願うのです。